03 専門医の更新時期において
僕は、リウマチ・膠原病と腎臓病を専門に治療しています。
膠原病は、高血圧や狭心症の心臓疾患、胃炎や胃潰瘍など消化器疾患や肝、胆、膵臓疾患と比較すると非常に稀な病気です。また、専門医の数も消化器病専門医が約21000名に対して、リウマチ専門医は4800名、腎臓専門医は、5200名と他の専門医と比べて少ない傾向にあります。
膠原病は、皮膚から各臓器に及ぶ全身の疾患で、近医や単科では診断が確定できず、また不明熱として扱われ色々な科を巡り、最終的にリウマチ・膠原病が診察することがあります。
また、障害臓器として肺と腎は障害の程度、頻度が多い臓器です。
このこともあり、僕は、病気が非常に稀で、肺、腎障害のように一つの臓器を深く診察することができ、各科を回り診断に苦慮する病気をもつ患者さんの最後の砦となるような医師を目指し、リウマチ・膠原病及び腎臓病を専門にしようと思いました。
膠原病は、ひとつの病気の名前ではなく、いくつかの疾患をまとめた病気の概念です。
全身性エリテマト-デス、全身性強皮症、皮膚筋炎/多発性筋炎、結節性多発動脈周囲炎、関節リウマチ、リウマチ熱、シェ-グレン症候群、混合性結合組織病などが含まれます。どの病気も難病(国の特定指定病)で比較的若い20代、30代の女性に起こりやすい病気です。
これらの医師は、専門医を概して5年ごとに更新する制度があり、今年がリウマチ・膠原病の専門医の更新年度で、その申請書類が、先日送られてきました。
いつも、この更新時期に膠原病の医師になった頃を思い出します。
僕は膠原病を専門に決め医師として4年目に大学病院で働いていた頃、20代のある女性の主治医となりました。
どんな膠原病にも取り組みたい血気盛んな気持ちでいた頃です。
彼女は、その大学病院の医学生で5年生になり、病院実習で当科の膠原病の勉強をしていた時に、自身が膠原病に罹病し入院を強いられました。
正直、自分の大学の実習で教えている学生が膠原病に罹り主治医になったことに驚きと動揺が走りました。全身性エリテマト-デスという病気で、実習中に発熱、顔面に蝶形紅斑の皮膚病変、また腎臓では、ネフローゼとういう大量の尿蛋白が出現し実習を続けられなくなりました。
僕は、彼女に心臓超音波検査をして心臓の膜に貯留する水を確認し、この病気であることを病室で告げました。
彼女は、眼に一杯の涙を溜めて
“先生、私は外科医になりたいと思っているのですが、完治してからも外科医として働くことができますか?”
“何がなんでも外科医になりたいのです”と尋ねられました。
当時、膠原病の治療の中心はステロイドホルモンであり、現在のような選択肢の多い治療法や、また替わる他の薬剤も少なく、ステロイドは奏功するが症状によっては大量投与が必要で、経過中に高血圧、肥満、糖尿病、骨粗鬆症などの副作用が発現することがあり、十分留意しなければならない〝諸刃の剣“のような治療を開始しなければならないし、それが長期に渡ることを意味していました。
特に、彼女の場合、腎障害が高度であり大量のステロイド治療が必要とされていました。
このため、4年目の医師の僕は、彼女の質問にははっきりと答えることができず、また、うまく慰めることも、言葉足らずで医師としての不甲斐なさを感じ黙々と完治させることだけを目標に治療を開始しました。
彼女は医学部生であり、病気の知識を十分理解しているので、長い病歴になることはわかっていたと思います。
入院後、何日かベッド上で茫然自失となる状態が持続しました。それでも、治療は開始されました。
数週間が経過すると、ステロイドの点滴治療を続けていたのですが、ある日、急に病室で大量の参考書や問題集を用いて国家試験の為の猛勉強を開始していました。”あまり、過度にならないように“と声をかけますが、”外科医になります“と言い続け、毎日、一心不乱に勉強している彼女の姿を見ていました。
その後、かなり辛い治療にも耐えて無事に寛解、退院となり、安定した継続治療が続けられました。そして、遅れることもなく、翌々年に国家試験に合格して医師となりました。
彼女より、将来を見据えて体力の必要な外科医は選択せず、他の科に進むことの報告を明るく受けました。
彼女はあの入院中の短期間にすでに、突然、病気になったことを受け入れ、そこから将来の夢を変更し、さらにその実現の為に努力を続けたことに、深い感銘を受けました。
自身が、患者として病気を克服し、同時に医師として社会に立つことを決断し、その両方を経験しながら前に進んだことに、彼女の努力はもちろんですが、人間の生きる力強さは、素晴らしいと深く思いました。
日々、診療所では多くの患者さんが受診して、時には入院となりベッド上で療養されていますが、その患者さんは、単に治療だけではないことにも戦っており、僕は病気の裏に隠れているその人の想いや人生に触れ、理解することができる医師になりたと考えたことを思い出します。
今頃は、彼女は人の痛みに触れることができる立派な医師となって、患者さんに接しているだろうと思い、専門医の更新書類に目を通しています。
著者:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二