04 緊張と安堵
診察の会話では、緊張感と安堵感がある。
疾患についての説明や治療法等を話すときの緊張感とは別に患者さんとの何気ない話題の中からの笑いやユーモアは安堵感が生まれる。毎日が違った舞台のようなライブ感覚で会話しているような気がします。
僕は、2年前より機会があれば自転車で通勤するようにしています。そのきっかけは、ある患者さんが診察中に自転車の楽しさを話してくれたことに始まりました。何か運動をしたいと考えていた私が、その話に興味をもち色々質問すると、その患者さんは毎回、外来受診時に自転車購入のためのカタログをたくさん持ってきてくれて、自転車購入のアドバイスをしてくれました。
そこから自分の年齢と体力を考え、単純な私は、初心者用の自転車を大阪の店まで出かけて購入しました。
初めて買った自転車が大阪梅田で自宅の西宮まで乗ることができるのかなと不安に駆られながらも、嬉しさ一杯でへとへとになりながら帰ったことが始まりで現在まで続いています。
自宅からクリニックまでは30分ぐらいかかりますが、いつもより早く起きて、人通りが少ない道で風を切って走ると目の前の光景が様々に変化し、都会にいても自然を強く感じ、この感覚が自分をリセットするように思え楽しく乗っています。
往診時もできるだけ自転車で出かけるようにすることにしています。先日、癌終末期で不穏が非常に強く、入院を強く拒否する患者さんが緊急で退院したために、急遽受け持つことになりました。訪問看護師さんから病状を伺い、いくつかの薬剤を持ち、この日も自転車で向かいました。走行中に自然の風や匂いを感じながら、いのちのかかる場面でどのようにこころを持って語りかけられるかを考えペダルを踏んでいきます。
自宅でいくつかの薬剤で鎮静を試みるも、あまり患者さんが落ち着く様子もなく不穏は持続。
そこから3時間あまり看護師さんと色々な治療を葛藤しながら試みるも一向に不穏は改善しませんでした。
僕は、診察で味わうあの緊張感がみるみるうちに感じるようになりました。
奥さんと娘さんから「できるだけ自宅で看取りたいけど、この不穏で家族が介護できるかが心配です」と伝えられました。
こんな時は、建前はいらない。本音の言葉で「自宅でできる限りの治療をしますが、不穏が持続し介護の負担が強いことも考慮して、ホスピス病棟への入院を考えましょう」と伝えました。
在宅医療はきれいごとではなく、なんでもありでどろどろした現実が目の前にあります。ただ、できるだけ言葉を大切にして伝える。伝えないとわからないと思うので伝えることを大切にしています。
後日、不穏に対して、家族は夜間にヘルパーさんをお願いしたことの連絡があり、少し安心して再び往診に出向きました。
僕が自宅に着くと慌てたように、「先生大変です。依頼したヘルパーさんが患者さんよりずっと高齢であり、患者さんを介護で移動させることができず、結局、一晩中、ヘルパーさんを手伝い一睡もできませんでした。」と言われた。
ただ、その表情は明るく誇らしい様子でした。そのことで、みんなで大笑いしました。僕は少し安堵感が生まれました。
どういう訳か、その笑いがあってから、患者さんの不穏は徐々に落ち着き始めました。家族も自宅での看取りを決心したようでした。僕は、患者さんのいのちにできることをしよう、家族のきもちのままにと決めて、ひたすら毎日、自転車で訪問診療を続けました。数日後、予約していたホスピスへ入院もすることなく、ある早朝、最後を家族とともに看取りました。
在宅医療では、思い通りにいかないことが多い。出あういのちがあり、見送るいのちがある。だから、いつもいのちのかかる場面でこそこころをもって語りかけうようにしています。
時には、家族との会話での笑いが、自分の治療の迷いや緊張感から救われ、患者さんや家族との一体感を強く感じることがあり、その瞬間が大好きです。在宅でのいのちのやりとりは自然であり、優しくありたいと思う。
訪問後、自転車に乗り風景を目にしながら、その診察の余韻を感じるのは自分には心地よい。だから、自転車での往診は格別であり、これからも続けて行くと思う。ただ一つの困難を除けば。それは、今は暑いということ。
著者:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二