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西宮市の内科|いしづかクリニック-院長ブログ|06在宅医が教えられること

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当クリニック院長 石塚俊二が医療を中心に情報発信
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06 在宅医が教えられること

僕は、在宅医療を始める前に必ずその患者さんの出身地、職業、趣味、家族構成などを確認するようにしている。
できだけ患者さんの人生の背景をより多く知ることが、その患者さんや家族の心に触れる一番の方法だと思うからです。

また、家族の介護する人の希望や考え方などの気持ちも初めにできるだけ聞くようにする。

在宅医療では、自宅での介護は家族の相当の決心がいる。

“在宅で親や夫や妻を看病したい。最後を家で看取ってあげたい”との話がある。“在宅での看取りは最高の贅沢”と言う僕は、その気持ちを応援したいといつも思っている。しかし、“これは、きっと難しくなるなあ”と在宅医療を希望する家族と面談中に思うことがある。

在宅医療や介護は汚れることをいとわない気持ちがないと成り立たない。切ない気持ちがないと老いや病気を看ることはできないし、病気の人のこころに近づくことは難しい。

 

診察に来た女性先日、以前に在宅医療で往診をしていた患者さんの奥さんがクリニックに診察に来られた。
この奥さんは、毎日毎日、頭が下がるような気持になるくらい献身的に夫を支え続けていた。奥さんに会って話をするとこの情景を思い出し、患者さんのことが昨日のように蘇ってきて体に力が湧いてくる。
この患者さんは、2年前に癌により緩和ケア病院で最期を迎えた患者さんであった。患者さんは僕と同じ内科医で、患者さんの父親が病気の為に30代の若い時に大学病院での臨床や研究を捨て実家の医院を継がれて、そこから50年間、開業医として臨床をおこなってこられた。やっと80歳の時に引退を決意されたが、その数か月後に癌が見つかりいきなり療養生活になった。

 

いつものことだが、初めての往診患者さんに会うときは、自分の想像通りかと少しの緊張と期待が交錯する。この患者さんと会うときは医師であるということもありより緊張度が増した。同じ職種で、また同じ内科の開業医で、さらに開業50年の経験は、まだ開業医として15年の経験しかない僕には想像を超えた存在であった。

お会いして最初、患者さんが、ご自身の血液検査結果やCTなどの画像検査、また治療経過を丁寧に説明してくれた。
僕は研修医のようにその説明を聞き、ノートを取り、気が付いたらこちらからいくつかの質問をしてしまっていた。

診療所に戻る途中で”主治医として全く立場が逆じゃないか“また”何の治療的なアドバイスもしていないではないか”と少し落ち込んだ気分で帰ってきた。ただ会話は非常に楽しかったことは満足していた。

それから次第に往診での診察後は、医師としての自分の診察方法や開業医としての在り方や悩みなどを相談するようになり、この時間が僕にとってより充実した時間として感じていました。毎回、話すテーマを決めて先生に質問すると、先生はこれまでの臨床医としての知識や経験から“石塚君、それはこのようにしたらどうか”“そこまでは患者さんに聞いたほうがよい”などと言われ、患者さんが医師としての古い恩師のような先生と感じるようになりながら、在宅加療を続けていました。

実際、その先生は、開業医として多くの医学生や新人研修医を自分の診療所で臨床教育をしていたことを聞きました、その後、数回の往診後の帰り際に患者さんから“私は先生のような在宅医を探していたんだよ”と言われ少し戸惑いながら嬉しい気持ちになりました。こんな会話の中で、一度、先生が医師にとって最も重要なことは“その人の尊厳を守り、待つことだよ”と言われました。往診のイメージイラスト

 

それから日々の診察の中でその言葉の意味をしっかり考えるようになり診療していた矢先に、先生の病状が進行して一時的に入院をすることになりました。ぼくは、病状が回復したと聞いて、先生の状態を見るためにその病院を訪れました。

長く話すことが辛いこんなときでも先生は“なにかクリニックで困ったことはないか”“診察では、今、どんな患者さんが来院されるの”などとクリニックのことを尋ねてくれ、色々とアドバイスをもらいました。

帰宅時に、僕の患者さんである先生のいのちはいつなにが起こるかわからない。そのなかでもいつもと変わらずに自分を気遣ってくれていることに心が震え、気持ちの高ぶりがなかなか元に戻りませんでした。

毎回の往診後の雑談や先生が“君のような在宅医を探していたんだよ”と言ってくれた言葉も、先生よりもずっと経験値が低いぼくのような医師にでもその尊厳を守り、長く見守ってくれたのだと感じると涙がでるほど嬉しく先生の優しさに身震いする思いでありました。

その後は、徐々に先生との会話が難しくなり、一進一退が続きました。意識が薄らいでいく中で、奥様の介護も満身創痍であったために家族と相談して緩和ケア病棟に移ることになりました。緩和ケア病棟での面会では、ついに先生と会話することは難しかったが、先生の顔を見ると安堵の気持ちが広がり、その後、先生は安らかに最期を迎えられました。

先生との会話、医師の言葉は大切だ。言葉で救われる。そんなことを先生から何度もしっかり教えられました。

著者:いしづかクリニック 
院長 石塚 俊二

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