16 在宅医療の価値感
在宅治療は患者さん、家族の絆やその価値観に支えられることが多い。
“在宅での看取り”は単に自宅で死亡診断を確認することではなく、患者さん、家族が最後まで納得した生活を継続でき人生を生ききれるように支援することである。その中で医師と患者さん、家族との関係はもちろん重要だが、患者さんと家族間の絆や考え方をより深く理解することが在宅治療の開始より必要になってきます。
2018年に厚労省は、人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセスの重要性をアドバンス・ケア・プランニング(ACP)と定義し、患者さん自身で意思決定ができなくなる前に今後の治療や療養について、患者さんと家族、医療、介護チームがあらかじめ話し合い共有することを推奨しています。
ACPの概要を取り上げると、
などが基本であり、ACPは生命の危機がある疾患に直面している有力な手段となっています。
僕もこの厚労省のACPの重要性を理解しながら、在宅医療でこの項目に沿うように話してみているのだが、どうも自分にはあまりできないということに気づいている。
もともと建前で話すことがすごく苦手で“このようなケースだとこうなります”とか“在宅医療は今、患者さん・家族にとっては最善で最良ですよ”などで安心感を与えるような話が上手くできずいつも話す内容もぐだぐだになる。
“この状態での入院の適応はなかなか決められないですよね”とか“自宅、ホスピス、一般病院すべての可能性を考えてその時に決めましょう”とか“入院していた先生に連絡して聞いてみます”など優柔不断な話も多い。
正直、在宅医療のすばらしさや感動を与えるような話をテレビや雑誌などでも見かけることが多いが、ひねくれた性格のせいかもしれないが、人ひとりが天寿を全うするのにそんな感動的なことばかりではないと思い、“これから少し痰や息苦しさを感じることが多くなると思う”とか“このタイプの癌の終末期は麻薬の効き目が弱く、薬を増量すると意識や呼吸が弱くなり終末期を短くするかもしれない”など現実的な言葉もはっきりと説明していくことも多い。
ただこのくだくだの話の中で最も大切にしていることがある。それは、患者さん、家族の価値観である。
ここでの“価値観”とはどう生きてどう亡くなりたいかということだと考える。
終末期にだんだんと時間が短くなりできないことが増えてきて削がれていく。そうすると見出す価値観が数個ぐらいになってくる。そして最後は一つに絞られていく。その価値観は患者さんと家族の絆から医師が感じ読み取るようにしなければならない。最初にゴールを決めてしまおうとする医師が一番苦手とするところなのであるが僕はそこをみんなで決めていくことだけは得意としている。
ある肺癌の終末期の患者さんは2人の息子さんが交代で24時間介護をしており、その一人の息子さんはトラックの運転手さんで走り回っているのだが、仕事中でも私の往診時には自宅に帰ってきて私に状態を自分の口から説明してくれる。
そして“父親はもう数週間の余命だと先生から聞いた。その余命が短くなっても父親には絶対にしんどい思いをさせたくないんです”と言われる。この息子さんの父親への最後の価値観を“苦痛緩和”の一点に絞ったようだった。
この家族の想いである価値観を引き継ぐこと決めてから、すぐに私の治療選択も迷うことなく進められた。
このように、人生を生ききる価値観は患者さんや家族の絆から感じることができるしそれが何よりも大切であると思う。
このため、最初に患者さん、家族にぐだぐだに説明をしてとことん話し合ってもらうようにする。時には私が患者さんと家族が本音で言い合えるように話しをふることもある。
“この前は入院するといっていたけど今はどういう気持ち”とか“往診時はしんどくなさそうやけど夜は苦しいんと違う”など患者さんと家族が対話できるようにそして、その絆を感じながら治療を決めていくようにしている。
看取りの主役は本人と家族でありその思いを感じ取ることが重要であると思う。
厚労省の定義は重要だが、僕にとってACPは難しいことではなく、自然に人として接し、
であり、これらを丁寧に心掛けて在宅医療をおこなうことである。
著者:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二