21 訪問診療は雑談が楽しい
訪問診療は自宅に訪問して容態を聞き問診、視診、診察し内服薬管理し、ご家族からも患者さんについて気づくことや要望を教えてもらったりするべきことは多いのが普通です。
私の訪問診療では余命数ヶ月である終末期の患者さんの診察をすることが多いのですが、中でも患者さんとこれらの診療後に会話する時間が非常に大切だと思うことが多い。
終末期医療で強く感じるのは、人はいつまでも元気ではなく、命を諦めざるを得ない時期が誰にでも来るということです。
僕は在宅での看取りは単に自宅で死亡までの診断をすることではなく、患者・家族が最後まで生き生きと納得した生活や人生観を感じるように支援することが重要であると思っています。
しかしそんなことは誰も思うその中で、僕が最も大切にしているのは訪問診察後の患者さんやご家族との何気ない会話です。
診察では本人の病気の症状についての治療法をお互いに緊張感を持ちながら話し合うことも多いのですが、その後の会話はお互い素の部分がでて楽しさが倍増します。特に、その患者さんがどこで生まれ、どんな幼少時代を過ごし、成人してどのような仕事に従事し、奥さんや旦那さんとのなれそめなど、その生きてきた道のりや生活観を聞くのが好きです。
ある患者さんは、現役時代に実家の酒屋に働いてそうです。ある時ビールメーカーさんにビールのおいしさは何かと聞かれた時があり、“そうやな、ビールはのどごしが一番やと話したらそれが会社の会議で取り上げられてそのまま名前が決定されたんやで“と、現在も流通しているあるメーカーの“のどごし(生)”の名前の起源は自分が決めたと嬉しそうにお話してくれました。
また、ある終末期の方からは、昔の日本電電公社(現在のNTT)に勤めていて“先生知っているか、大阪万博の会場の工事の責任者は僕やで”“徹夜、徹夜でしんどかったけどやりきったで”とこれまた嬉しそうに話された。
さらに別の患者さんからは、役所の一つの部署に変わることなく40年間勤め上げたのは当時で自分だけだということを誇らしげに話しておられた。
このようにご自身の現役時代の話をするときは特徴があり、患者さんは診察時より声が大きくなり、少し早口に沢山のことを話そうと穏やかな表情で話しをされます。その姿を見ると私もじわっと心が豊かになる感情を覚えます。
この話からは、人が生まれてこの今の時に至るまで毎日を精一杯生き、その人生に十分な充実感を享受しておられることを痛切に感じることができ、また、終末期であっても話す人に幸せを与えることができるなんて人間はほんとうに素晴らしいと感じます。
人にはいろいろな人生があり、また考え方、生活観、過ごした場所も違う。ただ、人の本質は同じで、どんな人生をおくってきたかも重要だが、最後に自分の人生を終えるときに、その一生が自分に納得できることを実感することがより重要だと思う。医師は、終末期の患者さんの意思決定支援のためアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を繰り返し、患者さん、ご家族が最後まで納得し充実した生活を維持できるように、人生を生ききれるように支援することの使命がある。
ACPとは、患者さんが穏やかに最期を迎えられるよう苦痛を緩和すること(苦痛緩和)とご家族が悔いのない介護ができるようにサポートすること(看取りの支援)が中心である。
しかし診察中はそんな難しいことよりも、実際に患者さんと話しをすることで、本当は我々がその診察や治療法を教えられ誘導されているように思う。
看取りの主役は本人と家族であり、その部分に十分な配慮が必要であることはもちろんであるが、医療者側が無理にそのような環境を作り出すのでものではなく、すべてにおいて自然に患者さんと接することがよいと思う。
医師はやった分だけ患者さんが回復してほしい。こんなに治療しているのだから治って当然である。もっと感謝してほしいなど考えるべきではない。
終末期であっても患者さんとは同じ立場で話し合うことでお互いに教え、教えられるようになる。その源は患者さんとの何気ない会話にあると思う。命は特別なものではない。ひとの命も自然なもので、お互いに自然な会話から医師も患者さんもすべてを受け入られるようになると思う。さあ、次はどんな話題が待っているかな。楽しみに訪問診療に出かけます。
著者:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二