30 吐き出すのは大切だ
先日、ある高齢者の女性を外来診療していた時に「いつも腰とお腹が痛いときがあると言っていましたが、まだ痛みは続きますか」と尋ねたら、「痛いのはあるけどでも大丈夫」と答えられた。
はてな(?)と思い、「どうしてですか」と続けるとその女性は「毎日、デイサービスに行って、お友達に痛いことやしんどいことなど体の不調をすべて話して、その次はお友達の体の不調をすべて聞いているから」「最近、これを繰り返し、お互いにすべて吐き出してみるとなんかスッとして帰ってくるようになったから大丈夫よ」と言われた。
それまでこの患者さんは多くの疾患を持ちそれに呼応して多くの症状に苦しみ、外来で訴えておられた。その都度、話を聞いて薬や検査を行ってきたがすべて完治には至らなかった。
この話を聞いて主治医の僕としては2つの思いがよぎった。
一つは、これまでこの患者さんは癌も併発しながらその訴えを和らげるように色々な治療を試みてきたが、なかなか完全には症状を改善させるに至らずにいた。だが、お友達としっかりと話し合うことで患者さんの活気がでてきたことは喜ばしいことだが主治医として情けなかったのが正直なところ。
もう一つは“吐き出すことの大切さ”である。吐き出すというと一見、嫌なことやつらいことを無理に出すというような感があるかもしれないが、この場合の“吐き出す”は“気持ちを吐き出す”ということで、“抱え込んでいた思いや悩みをまとめて言葉にして伝える”“思いの丈”“ありったけ”という意味である。
患者さんにはその人だけにしかわからない、理解できない病気への思いというものは存在する。その中で相手に本心や本音を伝えるというのはコミュニケーションとして時には難しいこともあると思う。
聞くと、デイサービスでお友達になり毎回話しているうちに自然に自分の病状もお互いに話し合うようになったと言われた。お互いが吐き出したい思いを相手に受け止めてくれるような伝え方をして、また受け止めるような聞き方をされていたのだと思う。
悩んでいる状態を抜け出すためには、その悩みを誰かに吐き出し、自分の弱さを赤裸々にさらけだすことも重要だと思う。
自分の思いや感情を表現すると気分がスッキリする。それが“身振りや手振り、態度”で表すこともあるが、特に大切なのは“言語化”することだと思う。言語化することによって“心”というとらえどころのないものを他の人が客観的につかむことができ共感することができるのだと思う。
日本人は人前で感情を表現することが苦手で、つらくても表情には出さずに我慢するのが美徳と考える人もまだまだ多い。
僕自身、アメリカでの留学中に研究の成果が出ずに悩んで自分の殻に閉じこもっていることもあったが、そんな時、ボスに「研究は失敗が続いているが、君は今、何か考えているか?」「これをどうしたい?」などよく聞かれることがあり、下手な英語で身振りや手振りも加え一生懸命説明したり、時には前もって言いたい事を書いてボスの前で読み上げたこともあり、人に相談し打ち明けたことで心の中がスッキリするだけではなく、研究の行き詰まりが打開したり、ボスとの人間関係が一気に深まっていくこともありました。
この患者さんは病気における自分の気持ちを素直に“自己開示”し、それにより相手の自分への親近感がアップし人間関係が深まったのだと思う。この患者さんの努力の賜物だと思う。
“自己開示”は“心の荷下ろし”だと思う。病気やその症状の悩みで重くなっていた心のうちも、誰かに話すことで軽くなる事は確かに在る。そして、孤独感やストレスが浄化され、話を聞いてくれた相手との絆も生まれる。こうした効果は、人の目を気にして悩みをひとりで抱え込んでいる人には絶対に得られないものであると思う。
実際の生活の中で人のつらさや苦しさはなかなか見た目でだけではわからないことも多いと思うし、ましてその人が何らかの病気で悩んでいることなど理解することは想像すらできないのが通常だと思う。
医師でさえ病気の患者さんの悩みや気持ちを思いっきり想像し、その想いに沿いたいと考えるが、何十年医師をしていてもその正解がどこにあるか悩むことも多い。今回、この患者さんは自分のつらい気持ちを否定せず、外に吐き出すことで心のよりどころを得たのだと思う。
私自身、この話を聞いて患者さんがデイサービスで経験したように、診察の中でも患者さんより気持ちを吐き出してもらうように受け止める、それを一緒に共感できるように努力し進んで行きたいと強く思った。同時に患者さんから心の治療法を教えられて嬉しかった。
令和5年2月:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二