49 幸福について
ありきたりのテーマであるが幸福について改めて考えたいと思う。
人はなぜ幸福になりたいのか。もちろん幸福になりたくない人はあまりいないと思う。その理由は、“仕事で活躍して出世したいから”“安定した資産を築きたいから”など、それぞれの目的があると思う。
では、さらに踏み込んで考えて、“なぜ出世したいのか”“なぜ安定した資産を欲しがるのか”と問うと最後に至る答えは“幸せになりたいから”となると思う。
幸福を目指すというのは最強の人生戦略です。
どんなに裕福な人であっても、どんなに優秀な人であっても“私はとても幸せです”という人には絶対に勝てません。
“年収を上げる”“昇進する”というのはすべて“幸せになる”という究極の目的の為のひとつのツールにすぎないと考えられます。お金や出世などそのツールが目的になると絶対に幸福にはなれません。
でもそのツールをやりきることができれば、すべての人が幸福になるとは限らないと考えられます。
幸福は“感じるもの”であり、究極であると思う。感じ方も人それぞれが違う。それは、アメリカに留学しているときに強く感じることがあった。アメリカでは日本よりも圧倒的な競争社会で格差社会である。
ホテルやデパートやスーパーマーケットでも富裕層が行く店と一般の方が行く場所がはっきりと区別されているなと感じることもあった。しかし、ハロウィンやクリスマスではみんながプレゼントを買いにでかけホームパーティーを行い、そして翌日は、皆が同じように“ハロウィンは楽しかった”“クリスマスディナーで家族とどんな会話をした、ハッピーな時間だった”など、どのような気持ちで過ごしたかを話し合う。その会話の多くは、心豊かに過ごせたかということで、どんなプレゼントで、どんなところで食事をしたかなどはあまり聞かれたことはない。
そして、“家族全員が楽しめたよ”というと皆が必ず“よかったね、よかったね”とニコニコと話してくる。
つまり幸せは、心の豊かさが一番大切であることを強く意識することが多かった。
こういう感覚で生活をすると心が楽に生きられ、人生の価値観も大きく変わるように思える。
しかし、人は、この“心のゆとり”をすべての場面で体得できない。なぜならば、私たち人間には“自分を他者と比べてしまう”という致命的な癖があります。
世間には、三大幸福論という書があり、三大幸福論の著者の一人のラッセルは、不幸になるこつは“自分を他者と比較すること”であり、同時に“自分に興味を向けること”であると述べています。
また、幸福論著者のもう一人のアランは、“幸福になろうとしないと幸福になれない。そしてそれは心と体の使い方で決まる”と言っています。
つまり、幸福になるのは“技術”であるということがポイントです。
アランによると“気分というものはいつも悪いもの”であり、これといって不幸な出来事に出会っているわけでもないのに、不幸な気分の人がいます。それは、人間が本来自然にまかせていると不幸になってしまう存在であるとも言われています。実際、誰もが自然に不幸になるかどうかはわかりませんが、幸福になるのは“幸福になるぞ”という意志をもって自分をコントロールする必要がいるということで、幸福になるのもけっこうな努力が必要なのです。
また、アランが協調するのは、不機嫌さの原因が精神的なものよりも、それが身体の変調によるものも多いということです。昨今の筋トレブームなどは的を射ているのかもしれません。
幸福へのゴールは、肉体を支配し鍛えることによって、心を統御することが大切であると説いています。
医療の場においても、このように考えると突然、病気になるということは、いきなり肉体の不調が生じて幸福をもぎ取られてしまうことになります。そして、その時こそ、心の持ち方や統御に医師の関りが大切であるのだと思う。
大切なのは、患者さんの治療をしていく上で、優しさや親切の切り売りだけではなく、その病気を克服するのは、悲しみや苦悩を理解しながらも“自分自身と喧嘩しないよう”その悪い面を焦点に当てるのではなく、良い面に焦点にあてるようにポジティブシンキングであることを説明し理解してもらうように示さなければいけないと思います。
アランは、悲観は感情の問題であり、楽観は意志の問題でもあるとも述べています。
私たちは自分の決断や行動についてあれこれ考えますが、それは自分と争っていることになります。
独り相撲のようなものですからこれも確かに無駄な労力です。そのためには医師自身も“上機嫌”を生活の義務の第一位にもっていくようにしなければならないと思う。
そうすることによって上機嫌の波は自分の周囲に広がり、患者さんにもその波が伝わっていくと思う。難しいことでもあるけど“微笑すること、親切な言葉、善い感謝のことばをいうこと、冷淡な人に対しても誠意ももって接する”などいわゆる究極のポジティブシンキングの元祖のような努力が必要ということになるということです。
一見、非常に難しいことと思われるかもしれませんが、“幸福”が努力さえすれば得られると考えれば少し気持ちは楽になると思います。なぜなら努力しても得られないことのほうが、人生ではつらい結果となるからです。
現在の自己啓発では自己宣言が強調されます。
人は必ず声に出すまた、出さないにもかかわらずセルフトーク(自分自身への語りかけ)をしています。
つねに自分の言葉に意識を向けて、ポジティブな言葉を使っているかどうかを確認するのです。
“幸福になる努力”をする生活をこころがけましょう。
令和6年9月:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二